交差点の角で、多くの人々が行き交う様子。背景には「Sony Park展」や「VAUNDY」と書かれたサインが見える。
コンクリート建築の前を人々が行き交う、夜の街の風景。
ダイニングキッチンで料理をしている様子。
[休園日のお知らせ]
2025年3月31日(月)・4月1日(火)・4月14日(月)

グランドオープン前のGinza Sony Parkを、アーティストはどう使うだろうか?

Ginza Sony Parkは、2025年1月のグランドオープンに向けて工事中の建物を特別に開放し、アートと建築が融合したプログラム『ART IN THE PARK (工事中)』を2024年11月19日(火)〜 12月1日(日)まで開催した。会期2週間を通して来園者が1万人を超え、国内外から銀座を訪れた多くの方々に今ここでしか見られない空間をお楽しみいただいた。本プログラムに参加したのはGinza Sony Parkとも縁深い、SHUN SUDO氏、山口幸士氏、玉山拓郎氏の3人のアーティスト。展示された作品にはどんな想いが込められていたのか?3名のアーティストにその背景を伺った。

展示風景。コンクリート建築の空間で緑と赤のライトが光っている。

銀座の庭

(1966年5月1日 日本経済新聞朝刊より)

この4月29日は、私にとって忘れ得ぬ日になった。なぜなら、長い間そのアイデアに苦しみぬいてきたわれわれ自慢の新ビルが、東京は西銀座の一角に開館したからである。とはいっても、このビルの建設について、手放しで喜んでいいのかどうか、いまだに悩む点が無きにしもあらずである。その一つは、電気の専業メーカーであることをモットーとしてきたわれわれが、日本で一番値の高い土地、すなわち、それは世界で一番高い土地だと思うが、そんなぜいたくな所に、ビルなどを建てること自体正しいのかどうか。人によっては、一電気メーカーの分際で正気の沙汰とは思われないかも知れないし、思い上がりもはなはだしいと言われるか知れない。第一、やっている私自身、その当時、とんでもないことだと思った。ついこの間まで、やるべきことではなかったのではないか、とまで真剣に考えていたのが本音である。がともかく、ビルは完成した。きょうはそのいきさつを述べてみたい。・・・・・

俯瞰風景。創業当時の夜のソニービル。地上の角地に大きな木が立っている。