Ginza Sony Park Project

ソニービル外観。Ginza Sony Park俯瞰風景。Ginza Sony Park最終形内観。

Ginza Sony Parkプロジェクトは、「街に開かれた施設」をコンセプトに50年以上にわたって銀座の街と歩んだソニービルを建て替えるプロジェクトとして、2016年に始動しました。

1966年、ソニーのファウンダーのひとりである盛田昭夫によってつくられたソニービル。そこには、「街に開かれた施設」の象徴であり、盛田が「銀座の庭」と呼んだ10坪のパブリックスペースがありました。私たちは次の50年に向けても創業者の想いを継承させたいと考え、「銀座の庭」を「銀座の公園」として拡張することで、銀座の街に新しいリズムをつくり、来街者の方が入りやすく、さまざまな楽しみ方ができる場にしようと、プロジェクトを進めてきました。

また、その建て替えプロセスもソニーらしくユニークに行いたいという想いから、これまでにない新しい発想で二段階のプロセスを採用。第一段階は新しい建物をすぐに建てず、ビルの解体途中(2018年8月~2021年9月)を公園にするという他に類を見ない実験的な試みを行いました。結果として、コロナ禍を含む約3年間で854万人もの方々に来園いただきました。

その後、第二段階として解体・新築工事を再開し、2024年8月15日にプロジェクトの最終形となる「Ginza Sony Park」を竣工、2025年1月26日にグランドオープンしました。

  • ソニービル外観。夜の数寄屋橋交差点越しのソニービル全景。交差点に面する手前のソニースクエア(屋外イベントスペース)には高さ3階分ほどの馬酔木の生木が植えられている。
    Sony Building
    1966 - 2017
  • 俯瞰風景。植栽が配置されたウッドデッキに人々が集まっている。
    Ginza Sony Park
    2018 - 2021
  • 俯瞰風景。数寄屋橋交差点のGinza Sony Parkと周辺建物を俯瞰する。
    Ginza Sony Park
    2025 -

建築について

外観。数寄屋橋交差点からのぞむGinza Sony Park。

Ginza Sony Park

2025 -

銀座の建物には、街の景観を守るため地区計画「銀座ルール」によって56mの高さ制限が定められています。地上5階、地下4階のSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)の新しいGinza Sony Parkは、その「銀座ルール」の半分ほどの高さ。あえて低く構えることで集積率の高い都会の中に余白と新しい景観を生み出しています。

また、ソニービルが大切にしてきた「街に開かれた施設」という設計思想と、「ジャンクション建築」「縦のプロムナード」といったユニークな建築的要素を継承しています。

外観。グリッド状のファサードで覆われたGinza Sony Parkは、メゾンエルメスと東急プラザ銀座の間に低層で構えている。通りには街路樹がある。

街に開かれた施設

かつて銀座・数寄屋橋交差点に面したソニービルの角地には、"ソニースクエア"という10坪ほどのパブリックスペースがありました。
都市を修景的につくるという思想から、余白の少ない都会の中に街との接点となる外部空間を設け、街を訪れる方々に楽しんでいただくために設計されました。

創業者の盛田昭夫は、この場所を「銀座の庭」と呼びました。春には満開のガーベラの花畑を、夏には涼しげなアクアリウムを。銀座の街を彩る四季折々の催しが行われるこの場所は、長年多くの人々に親しまれ、まさに「街に開かれた施設」の象徴でした。

50年間続いたこの「銀座の庭」の思想を継承し、「銀座の公園」として拡張したGinza Sony Park。人々が思い思いに過ごせる多くの余白と、好奇心を刺激するさまざまなアクティビティとによって、街や人々にリズムを生み出す場となることを目指します。

内観。コンクリートの階段に囲まれた吹き抜け空間の先は数寄屋橋交差点にシームレスに繋がる。

ジャンクション建築

Ginza Sony Parkは、地上は晴海通り・外堀通り・ソニー通りに面し、地下は地下鉄コンコースと地域最大級の地下駐車場に直結した、都市機能を内包する稀有な立地にあります。

この立地で行う新築工事の難易度の高さとさまざまな課題に向き合いながら、これらの都市機能と建物を有機的に結びつける「ジャンクション建築」の考えを継承。

地上では数寄屋橋交差点からの動線を開放的な吹き抜け空間で受け入れ、地下動線も内と外を区切る扉や壁をなるべく設けずシームレスにつなぐことで、銀座の街を訪れる人々が気軽に行き交うことのできる空間を実現しています。

外観。地上1・2階の吹き抜け空間を通して建物をはさんだ対面にあるソニー通りが見える。

縦のプロムナード

ソニービルは、決して広くはない敷地面積に建つ建物を如何に有効に使うかという視点で考え出された「花びら構造」と呼ばれるスキップフロアによって、地上のフロアを連続的につなぐ「縦の銀ぶら」を実現していました。

新しいGinza Sony Parkではこのコンセプトを進化させ、大胆に地上の外部空間をも取り込みながら地下3階から5階(屋上)をつないだ一本の「縦のプロムナード」をつくり出しています。

敷地面積
707.42 ㎡
建築面積
584.75 ㎡
延床面積
4,357.49 ㎡
主体構造
鉄骨鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)
階数
地上 5階
地下 4階
高さ
33.863 m

ヒストリー

ソニービル外観。夜の数寄屋橋交差点越しのソニービル全景。交差点に面する手前のソニースクエア(屋外イベントスペース)には高さ3階分ほどの馬酔木の生木が植えられている。

Sony Building

1966 - 2017

「街に開かれた施設」をコンセプトに、50年以上にわたって銀座の街とともに歩んだソニービル。

銀座・数寄屋橋交差点に面した角地には、都市を修景的につくるという思想から、余白の少ない都会の中に街との接点となる外部空間を設け、街を訪れる方々に楽しんでいただくために設計された10坪のパブリックスペースがありました。

創業者の盛田昭夫はここを「銀座の庭」と呼びました。春には満開のガーベラの花畑を、夏には涼しげなアクアリウムを。銀座の街を彩る四季折々の催しが行われたこの場所は、「街に開かれた施設」の象徴でした。

  • イベントの様子(モノトーン)。ソニースクエア(屋外イベントスペース)でオランダの民族衣装を着た女性と客室乗務員がチューリップを配布している。
  • 地下外観(モノトーン)。銀座駅地下コンコースとの接続部にはソニープラザストアのサインが掲出されている。
  • 図面。ソニービルの階を田の字型に分け、真ん中の柱を中心に4つのセクションを段違いにした花びら構造の図面が表示されている。
Ginza Sony Park 俯瞰風景。植栽が配置されたウッドデッキに人々が集まっている。

Ginza Sony Park

2018 - 2021

ビルを建て替えるそのプロセスもソニーらしくユニークに行いたいという想いから、これまでにない新しい発想で二段階のプロセスを採用。

第一段階は新しい建物をすぐに建てず、ビルの解体途中を公園にするという他に類を見ない実験的な試みを行いました。

解体途中に生まれたGinza Sony Parkは、その空間的・時間的な余白の中で、遊び心が感じられるさまざまなプログラムを開催し、コロナ禍を含む約3年間で854万人もの方々に来園いただきました。

  • 外観。Ginza Sony Parkの照明と奥にある銀座メゾンエルメスのガラスブロックの灯りが銀座の夜を美しく照らしている。
  • 地下外観。地下2階コンコースの接続にある会場入口や柱にメインビジュアルなどが貼られている。
  • 内観。地下の三層吹き抜け空間にトップライトが差し込まれている。