子どもの頃、毎週楽しみに見ていたアニメがあったのです。
当時、僕も含めて、全国の子どもたちにとって、「金曜日の夜の7時は、絶対にテレビの前に座って、あのアニメを観る! 」と決めていたぐらいに、絶対的な存在があったのです。かなりの長寿番組でもあり、今でも、放送日と時間が変更された上で、続いているのですよね。
そのアニメは、小学生の主人公の元に、未来から猫型ロボットがやってきて、色々な未来の道具を出していくような、少し不思議なSFストーリーなのです。
ただ、僕自身は話の本筋よりも、子どもたちがよく利用していた「空き地」の存在がかなり強く、思い出の中に残っているのです。
アニメに出てくる登場人物たちも、学校が終わって家に帰ると、背負ってきたランドセルを放り投げ、みんなが集まる空き地に向かう。スマホも携帯電話もなかった時代だから、子どもたちにとって、「とりあえず、空き地に行けば、誰かしらいる」という集合場所でもあったわけですね。
その「空き地」という存在は、今ではほとんど見ることができなくなりましたが、その場所は、昭和の時代に、どこかの建設会社か地主さんが所有している土地だったのかも知れません。土管などの建築資材が置かれているけど、基本的には子どもたちに遊び場として開放されており、アニメの中では、そこで野球をしたり、大事な作戦会議を開いたりと、子どもたちの「大事な居場所」として描かれていました。
今から30年以上前、このアニメをリアルタイムで見ていた僕の世代でさえ、いわゆる、「遊び場として開放されている空き地」の存在をあんまり身近で見たことがなくて、「空き地って、いいなぁ」と、大きな憧憬を持って、テレビの画面に食いついていた記憶があります。
思い出話が長くなってしまったのですが、Ginza Sony Parkに初めて足を踏み入れた時に、僕の中にあった、憧れの居場所としての「空き地」が実際に目の前に現れた感覚がありました。しかも、東京の銀座に。
アニメの中にあった空き地は、土管だけあって、「あとは自由に使ってください」と、子どもたちにとって聖地のように扱われていたのだけど、それと同じようにGinza Sony Parkは、コンクリートの建物だけあって、「あとは自由に使ってください」の感覚がありました。
その「思い切りの良さ」が本当にありがたかったのです。